"陶芸と人々 "。テラサにあるサン・フランセスク修道院のタイルについて、サラ・ゲレロさんが語ってくれました。

"陶芸と人々 "。テラサにあるサン・フランセスク修道院のタイルについて、サラ・ゲレロさんが語ってくれました。

今月から始まる"陶芸と人々 "は、陶芸がどのように作られ、文化や美食、私たちの日常生活とどのように関わっているのかなど、陶芸に関するさまざまな視点を知りたいすべての人に、粘土の世界をより身近に感じてもらうことを目的としたインタビューシリーズです。

最初のインタビューは、アンナが生まれた街、テラサ(バルセロナから電車で40分ほどの町)にある、あまり知られていない絵付けタイルの壁画についてです。インタビューに答えてくれたのは、美術史家であり、自身のプロジェクトCultura a tope(@culturaatope)を通じてテラサの歴史と文化を広めることに従事しているサラ・ゲレーロさんです。


私たちはサラに、サン・フランセスク修道院で発見された絵付けタイルパネルについて、また、陶器と密接な関わりがある文化と芸術を広めている彼女の情熱について詳しく話を伺いました。


サラ・ゲレーロさんのプロジェクトについてもっと知りたい方は、彼女のインスタグラム・プロフィール@culturaatopeをご覧ください。


Q. なぜテラサの歴史と文化を伝え、広めようと思ったのですか?

サラ・ゲレーロさん(以下、サラ):
私は芸術、歴史、文化に情熱を持っています。子どもの頃から、歴史上の人物や過去の出来事について語る映画やドキュメンタリーが好きで、美術史を学び、テラサ観光局や市内の美術館で観光案内係として働いていました。
国境を越えて情報を発信することも大切にしており、この街の多種多様な文化的なことを人々に伝えるのが、私は好きです。
残念ながら事情により、大好きで充実していたこの仕事はやめてしまったのですが、子供たちの同級生のご家族と一緒に観光旅行を企画したり、赤十字のボランティアなどを続けたりしました。
しかし世界中を変えてしまったあのパンデミックが起こり、子供たちは学校でテラサの歴史を学ぶことができなくなったのです。子供たちにとっては歴史を学ぶ機会には関心を寄せておらず私は試行錯誤しながら自分のスタイルで歴史を伝えていこうと決心し、ユーチューブ・チャンネル「サラ・ゲレーロ:テラサの歴史」を開設しました。そしてテラサの文化遺産についてあらゆることを少しずつ取り上げていきました。
世界中に広がるネットワークを利用し、インスタグラム:@culturaatopeも開設したんです。常に個人という立場から、自分がやりたいからやる!というスタイルでテラサの文化や観光に関する情報を発信し続けています。歴史好きな人と歴史にかける情熱を共有するのはとても楽しいですよ。

Q.歴史や文化発信をするための情報収集調査で、陶磁器の世界(壁画、花瓶、タイル、食器など)に関連するものにたくさん出会いましたか?
テラサには多くの時代の遺跡があり、そのほとんどはテラサ博物館で見ることができます。テラサの教会群(エガラの総本山)の舗道のモザイクや、サグラのカサ・アレグレの中庭のモザイク。カン・コラピの礼拝堂やカタルーニャ視聴覚公園にも装飾モザイクがあります。
また、モダニズムのトレンカディス(アントニ・ガウディによって考案されたモザイクの一種)を市内の多くの建物で見ることができ、カルトイシャ・デ・ヴァルパラディス城にはカルトゥス会の食器の跡などがあります。
タイルに関しては、サン・フランセスクの回廊で発見できる宝石があるんですよ。テラサには本当に沢山の陶器芸術があります。


Q.陶器は、私たちのルーツを知るために重要でしょうか?

文字文化は、何世紀もの間、一般の人々が手に入れることはできず、特定の社会階級だけが手に入れ、書き写し、共有する役割を担っていました。つまり、文字や文章、トーン、イデオロギーは、特定の考え方や社会階級の中で持っている内容に限られていました。
この文字文化や物語、事実が下層社会階級まで届く方法が、絵画や彫刻だったのです。例えば教会では、人々は教会や王政の登場人物が描かれたステンドグラスに目をやり、柱の柱頭には彼らを怖がらせるような聖書の一節が描かれていました。
すべての図は、壁画、絵画のテンペラ画や油絵、タペストリーそして陶器に描かれました。
当初、陶器は幾何学的、花的、装飾的なモチーフが多かったのですが結局、情報としての機能も持つようになり、あらゆる場面が描かれるようになりました。


Q.なぜ今、陶磁器の世界が数年前よりも高く評価されるようになったのでしょうか?

モダニズムの時代と同じように、過去の技術を取り戻そうとする歴史主義的でやや折衷的な考え方があり、手仕事の作品であることに価値を与えているのだと思います。クラフトマンシップは、私たちの最も古い過去に根ざしており、多くの人々がノスタルジックな目でそれを再発見しているのでしょう。
サン・フランチェスコ修道院の陶磁器に注目してみましょう。 アッシジの聖フランチェスコとは誰で、なぜ彼の生涯が回廊のパネルに描かれているのでしょうか?
アッシジのフランチェスコは、中世のカトリック教会の権威の下にフランシスコ会を創設した人物です。彼は若い頃、裕福な商人の息子で、最も厳格な清貧と福音書の遵守の下に生活するようになっていました。彼の修道生活は厳格で質素なものであり、信者たちにも同じような生活をするように勧めていました。
テラサにはフランシスコ会の修道院が設立され、聖フランシスコの生涯を説明するための回廊が設けられています。回廊の4つの展示室では、聖フランチェスコの生涯にまつわる実際のエピソードや伝説的なエピソードが紹介されています。
フランシスコ会についてもっと知りたい方は、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』をお勧めします。映画もありますよ。


Q.聖フランチェスコの生涯を描いたタイルの役割は何ですか?

前にも言ったように、人々は教会に行き、絶えず宗教的なイメージや絵を目にしました。これらの表象は、彼らが当時の考え方に接する唯一の手段であり、権力者たちはそれを使って人々を教化し、自分たちの都合のいいように宗教を広めていったのです。


Q.なぜこの陶磁器装飾の展示が、これほど重要なのでしょうか?

保存状態の良さと質の高さから、17世紀カタルーニャ陶磁器の最も重要な例のひとつであるとされています。この作品は、バルセロナのロレンス・デ・パッソレス工房によるもので、彼は短期間でこの規模の作品を作り上げました。
さらに、描かれた宗教的な場面では、遠近法や風景を見るための窓の取り入れ方など、カタルーニャ美術がすでに中世美術に対して大きな変化を遂げていたことを示す多くの技法を見ることができるんです。


Q.この作品の建設過程はどのようなものでしたか?

1671年に着工し、テラサ城の城主ペール・デ・フィゼスが資金を提供し、1673年に完成しました。
陶器の装飾は、長い工程を必要とする複雑な制作です。タイルは粘土で成形され、焼かれ、デザインと色が施されます。絵付けをする前に、タイルの表面を酸化スズで覆い、気孔を覆って白くします。次の工程は、タイルに描かれた図案を写し取るクアドラトゥーラ技法を使って図案を描いていきます。
デザインは厚紙に描かれ、多くの場合、模型や版画、彫刻の複製からコピーされるんですよ。
その後、さまざまな顔料を塗って図柄を描き、タイルを再び焼きます。最後に、タイルはそれぞれの決められた場所に設置されるのです。


Q.修道院と陶磁器にまつわる面白いことについて教えてください。

2001年に回廊が発掘されました。当時の陶磁器の保存状態の良いものがたくさん見つかり、その中には台所用の食器も沢山含まれていました。これは、回廊のアーチ型の天井とその上の階の床の間を埋めるために使われていたんです。アーチ型なので左右にスペースが出来てしまうのですが、そこに大量の食器を埋め込むことで、アーチ型の天井が2階部分を支えられるようにしたんです。
さらにこの食器の破片から、当時使用されていた陶磁器の種類や、修道士たちの食生活、当時の人々の食生活を知ることができるんです。

アーチ型の天井

Q.もしサラ、あなたがこれらのパネル製作に携わっていたとしたら、どのような工程に参加したかったですか?

そうですね、制作に参加するよりも、画像やアッシジの聖フランチェスコの歴史を説明する側に参加したかったと思いますよ、今みたいにね(笑)


参考文献・取材協力:
-聖フランチェスコ修道院。Quaderns del Museu, 4. テラサ美術館。年不詳。
-テッラーサ修道院の修道士たちによるサン・フランセスク・ダシスの生涯(1673年):回復、謙遜、出世の一例。Sílvia Canalda i Llobet.Terme 19, 2004.
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